はじまりは、神話の国・出雲
日本という国が、まだ歴史と神話の境目にあったころ。『古事記』『日本書紀』には、出雲を舞台とした数々の物語が記されている。大国主命。国譲り。出雲大社。
それがどこまで史実だったのかは、今もわからない。けれど、日本人が自らの国の始まりを語るとき、出雲を特別な場所として語り継いできた。
海の向こうへ開かれた国
出雲の向こうには、日本海がある。そしてその海の先には朝鮮半島と大陸がある。古代、この海は世界を隔てる壁ではなく、人や文化を運ぶ道でもあった。
出雲から発見された数多くの青銅器や祭祀の痕跡は、この地に独自の文化圏が存在したことを想像させる。
そして、松江という町が生まれた
時代は大きく流れる。信長、秀吉、家康。長い戦国の世が終わり、日本が新しい時代へ向かおうとしていた1607年。堀尾吉晴らによって松江城の築城が始まり、1611年ごろ城は完成する。
その周囲には武家屋敷が置かれ、商人が集まり、堀が巡らされた。
戦うための城から、文化を育てる城下町へ
やがて松平家が松江を治めるようになる。戦の時代は遠ざかり、城下では人々の暮らしが積み重なっていった。その文化を象徴する人物の一人が、松平不昧公。大名でありながら茶人としても知られた不昧公の時代を経て、お茶や和菓子、器を楽しむ文化が松江に深く根づいていく。
豪華さを競うのではない。季節を感じ、しつらえを楽しみ、一服のお茶を大切にする。
400年かけて育った、松江の気質
派手ではない。どこか控えめで、穏やか。古いものを大切にし、人を静かにもてなす。お茶があり、和菓子があり、工芸がある。宍道湖があり、堀川があり、神社や寺が日々の暮らしのすぐそばにある。
明治になり、この町を訪れた小泉八雲もまた、松江の人々や風景、そして目には見えないものまで大切にするこの土地の精神世界に惹かれていった。
そのすべてを、松江城は見てきた
城主が変わった。侍の時代が終わった。明治になり、鉄道が走り、車が走るようになった。町の姿は何度も変わった。それでも、松江城の天守は残った。現在、日本に残る現存12天守のひとつ。そして国宝。
しかし、その価値は「古い天守が残っている」ことだけではない。
だから、松江城だけを見て帰るのは、もったいない
城を見たあと、町を歩いてみる。堀川の水を見る。古い町並みに迷い込む。お茶をいただく。和菓子をひとつ食べる。宍道湖に沈む夕日を見る。地のものを食べ、地酒を飲む。そして夜になったら、この町で眠る。
そうすると、昼間に見た松江城が、少し違って見えてくる。
